*都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生の資料 画面右の×印で閉じます。   昭和31年卒のページにはここから Count = 5810
ご報告とお礼
ご案内状
中村屋本店三階レガル
戸山高校「やあやあ会」の表示
幹事苦心の名札
やあやあ会返信集
A組
B組
C組
D組
E組
F組
故守屋さんの本
G組
H組
恩師ご消息
印度カリー80周年
中村屋のカリーの話し
余談:少女像
余談:中村つね自画像
有志・C 組関係者が撮影した写真から抜粋しました。
ご報告とお礼 2007年11月8日(木) 

立冬が訪れ、年末が近付いて参りました。今年度幹事C組の有志(井野・鵜澤・笠井・菊地・佐々木・矢部・渡辺)の設営した『古希記念2007やあやあ会』は無事打ち上げとなりほっとしております。
出席者の 皆様への感謝・ご都合で出席頂けなかった同期生方々への懐かしさの気持ちとともに、以下にその概要をお知らせ致します。なお、其の他の詳細写真は同期生専用ページ(ID:パスワード必要)に掲載させて戴きました。

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案内状

 
ご案内状

同期の皆様にお送りした、案内状です。

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村屋本店3Fレガル

Regalとは、フランス語で「ごちそう」を意味するとのこと。中村屋伝統のカリーと共にフレンチも提供しているのだそうです。

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戸山高校「やあやあ会」の表示」 

表示を用意しました。

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幹事苦心の名札

当日出席者約80名分の名札を用意しました。ケースは城北会から拝借、校章もいれての印刷は、栗林さまにお手数をかけました。


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「やあやあ会返信集」

例年のように「返信ハガキを集約した返信集」を作りました。今回は特に、ご出席頂けなかった方でも、返信を頂いたかたにはお送りすることとしました。(御出席者名等は専用ページにあります)

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「3年A組」
  • 担任:宮本先生(国語:戸山高校在職1943-58)

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「3年B組」
  • 担任:平賀先生(国語:1943-72)

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「3年C組」
  • 担任:田崎先生(国語:1943-67)

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「3年D組」
  • 担任:杉浦先生(数学:1941-79)

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「3年E組」
  • 担任:織家先生(英語:1952-56)

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「3年F組」      
  • 担任:島田先生(英語:1946-68)

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「故守屋敦子さんのご本」
  • 本年逝去された守屋敦子さんの著書「ドゥユーノウサダコ」を横川さんが紹介されました。
  • 横川さんと守屋さんがご一緒に創られた「よも出版」から出版されたものです。
  • どうぞ、宜しければお買い求め下さい

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「3年G組」
  • 担任:平久保先生(国語:1938-80)

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「3年H組」
  • 担任:柴田先生(数学:1925-1961)

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恩師七名様へのご挨拶
古希やあやあ会の打ち上げ後、11月2日に、直接お世話になった恩師七名様に、左記のご挨拶状と記念のフレーム切手をお送りしました。恩師の方々は83~4歳と存じますが、お元気のご様子にて、着信早々全先生より、電話やお手紙でご返事を頂戴しました。今回の「小さな切手」から、思いがけない喜びや、戸山の記憶が立ち昇って懐かしさいっぱいのご様子でした。ありがたいことでございます。

 平瀬志富先生(物理:1946-85)からは「イヤー、こんなに
嬉しい思いをしたのは初めてですよ。記念切手もお手紙も
~宝物~大切にします。
ありがとう。同期の皆さんに宜しく伝えて下さい。」
 岩切梅夫先生(体育:1949-84)からは「素晴らしいお手紙をありがとう!!私は83歳になるけれど、剣道指南を続けていますよ。年に3~4回は戸山の門をくぐれて幸せを感じています。記○君・栗○君・実○さんは」とのお尋ねや、ラジアン池や新校舎のお話など。
 恩師返信 5人の先生からはお手紙を戴きました。詳細内容は「同期専用ページ」にお進み下さい。
  • 石井清先生(英語:1949-84)間もなく84歳ですが夫婦とも元気です・・・
  • 氏家文昭先生(英語:1950-65)この度の記念切手は大したアイデアと思います・・・
  • 藤塚武雄先生(英語:1946-66)お礼と皆様の益々のご健勝を・・・
  • 武藤徹先生(数学:1947-86)著作集を出版し「忍び寄るファシズム・・・」との講演をしました。
  • 高木健二先生(化学:1947-85)体調に負けず、尚更充実した精神生活に努めています・・・
    (笠井記)

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余談:「純インド式カリー発売80周年」 

我々の「古希=70歳」記念の会場が「新宿中村屋の純インド式カリー発売80周年」と重なって いたのは奇遇です。
さらに、我らが戸山(四中)は創立120余年であり、 70年・80年・120年と「過去の歴史」が身近に感じられました。
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余談:「中村屋のカリーの話し」 

そして、今から80年前ののカリー発売の経緯にはドラマがあるようです。
中村屋の創立者相馬愛蔵氏は後の早稲田大学出身、奥さんの黒光さんも後のフェリス出身の英語を学んだ知的な女性で、多くの文化人が中村家に出入りし先端的サロンを成していた。
1915年に英国植民地インドで独立運動に奔走した「ビハリ・ボース氏」が日露戦争に勝利した日本に来日、種々あって(註)相馬夫妻の家にかくまわれた。1918年相馬夫妻は長女俊子を嫁がせ二児をもうけた(後日長男は沖縄で戦死)、1921年の日英同盟破棄の後ボース氏は日本に帰化、1945年に死去した。そのボース氏が1927年の「日本初めての純印度式カリー」を名物料理とする中村屋喫茶部開設に尽力したとのことです。(註)サマセット・モームの「ASHENDEN」にインド活動家追跡の話しがありますね。
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余談:「会場に飾られていた少女像の話し」 

会場の少女像は、上記のビハリ・ボース氏と結婚した、相馬愛蔵・黒光夫妻の長女「俊子」がモデルです。画家「中村つね」の作品で大正4年文展三等賞に入賞した作品の模写です。

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余談:「中村つね」の自画像

同じく、画家「中村つね」の自画像の模写(本物はブリジストン美術館)が「レガル」にあります。
中村つね、は 明治20(1887)年~大正13(1924)年の大正期の画家。
陸軍中央幼年学校に進学し陸軍軍人の道を進んでいた17歳(現代なら高校生)の時に肺結核と診断され転進、画家とし代表作「エロシェンコ像(重要文化財)」などを残しています。中村屋の相馬愛三・黒光夫妻に支援されました。その長女俊子への恋慕かなわず早世したとのことです。
これ等の時代、もしかして我々の親達の青春と重なるやもと思いました、余談お許しを。

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