*都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生の資料 画面右の×印で閉じます。   昭和31年卒のページにはここから Count = 4820
尾瀬散策
堀切菖蒲園
記念撮影
941年(天慶4年)
1636年(寛永13年)
1668年(寛文8年)
「甘水園公園」
1678年(延宝6年)
戸山公園(箱根山地区)
気軽な半日散歩
地 図
水稲荷
穴八幡
他にもいろいろ

「気軽な半日散歩・戸山周辺」を実施しました。
栗林さんにお願いして、戸山近辺の散歩を企画しました。
やあやあ会メンバー・関係者の親睦が目的です。
日時・集合場所・天候など下記でした。更に、その後の活動をご覧に入れます。

(スライドショウの画像が消えたら再読み込みしてみてください)
尾瀬沼

尾瀬散策:6月8日(日)は、家族で日帰りの尾瀬散策をしました。もう、人・ひと・ヒトで、ただただ歩くだけといった印象でした。しかし、花々はしっかり咲いていました。 (栗林)

(←クリックで拡大します。)
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堀切菖蒲園

堀切菖蒲園:6月1日(日)に「ロープウェイでの谷川岳」を計画しましたが、都合で堀切菖蒲園に変えました。「堀切菖蒲まつり」は6日からなので、比較的ユックリ見ることが出来ました(栗林)。 

(←クリックで拡大します。)
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やあやあ会 結果報告:総勢8名が参加しました。記念撮影は栗林さんの小倉屋所縁の「堀部安兵衛顕彰碑」前でしました(←画像クリックで参照)。顕彰碑は当初は馬場に、その後水稲荷境内に移されました。
戸山高校周辺には「平将門の乱」から「第二次大戦」まで様々な跡がありました。
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水稲荷神社 941年(天慶4年):平将門の乱を制圧した藤原秀郷=俵藤太(百足退治の)が、稲荷神社を造ったとされます(当初は早稲田大学校内、現在地は移設後)。その後、江戸時代に霊水が湧き「水稲荷」として賑わいました。(詳細はスライドショウ
1603年:江戸開府
1634年:鎖国策の一つとして長崎出島を建設。
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高田馬場跡 1636年(寛永13年):幕府・御持弓頭の松平直次が、演習場(馬場)を造り(←画像クリックで拡大)、武術の守護神として八幡社を祭る。建設中に崖に横穴が見つかり「穴八幡」と呼ばれる。将軍家祈願所として保護され、1649年の銘のある布袋像水鉢は、伝将軍家光奉納である。1728年(享保13年)には、将軍吉宗が流鏑馬を奉納したという。幕府公認・小笠原流の流鏑馬。(スライドショウ
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尾張家下屋敷遺品 1668年(寛文8年):徳川御三家筆頭の尾張家が「戸山荘」と名付けた下屋敷を造る。後の戸山公園。総面積448,800㎡(公式サッカー場約50面)。栗林さんが寄贈した「徳川尾張藩屋敷跡遺品」の中には、徳川宗家の「三葉葵」に似せた「五葉葵」の鬼瓦などがある。(詳細遺品はスライドショウ
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甘水園 「甘泉園公園」は徳川御三卿の清水家が下屋敷に造った回遊式庭園の一部、高田馬場から神田川への傾斜を生かしている。現在面積14,000㎡だが、本来は隣接する公務員住宅・水稲荷を含むもので、大名屋敷の広さが窺える。(スライドショウ
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高田馬場の茶屋 1678年(延宝6年)小倉屋開店
1679(元禄7年)堀部安兵衛の「高田馬場仇討ち」
1700年頃:尾張家の「戸山荘」完成
1750年頃:高田馬場周辺が賑わい、茶屋8軒が商いしていたという。当時からと言われる古木(←注連縄あり)が残っている。
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戸山公園(箱根山地区)

戸山公園(箱根山地区)(←説明は画像クリック)
1868年(明治元年)幕府崩壊、尾張家から明治政府に。
1874年(明治7年)陸軍戸山学校用地となる。
1945年(昭和20年)敗戦による陸軍消滅。
1949年(昭和24年)都立第四新制高等学校が市谷加賀町から移転。1950年(昭和25年)都立戸山高等学校と改称。
スライドショウ
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「気軽な半日散歩・戸山周辺」 
項 目  記 事
参加要件 やあやあ会関係者、含む同伴者
日取り 2008年4月20日(日曜日)
集合場所 東西線早稲田駅番出口(高田馬場側)
集合時刻 午前9時00分
解散時刻 午前11時30分(現地)予定
昼食 希望者自費・場所未定
コース 戸山周辺(水稲荷・甘泉園・穴八幡・箱根山)
天候催行 集合した人が決定・事前申込なし

年に一度のやあやあ会以外でも、気軽に旧交を温める機会が増えればとの考えで企画しました。

季節的には、桜は過ぎていますが温かい時期と思われます。地元に永年お住まいの栗林さんのお話で、在校生時代に知らなかった「戸山周辺」が味わえると思います。

内容として「江戸城に隣接した歴史地区」でしょうか。なお、集合場所には「夏目漱石生誕地の石碑」と「栗林さんのお店」があります。

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「地図」
戸山高校周辺

探訪予定地の地図をご覧に入れます。戸山高校周辺です。

(←クリックで拡大します)

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「水稲荷」
942年(平安時代中期・平将門の乱があったころ)に設立されたと言う稲荷神社、元禄15年(1702)に境内から「霊水」が湧き出して眼病に効能があると江戸市中で評判となり「水稲荷」と呼ばれた。本来は早稲田大学構内にあったが、昭和38年に現在の甘泉園近くに移設された。「耳欠け神狐」がある。

「甘泉園=甘泉園公園」
1969年に新宿区立の公園となった。古くは、徳川御三卿(御三家=尾張・紀州・水戸:御三卿=田安・一橋・清水)の一つ清水徳川家の屋敷。昭和13年に早稲田大学が入手、敗戦後東京都が買収して公園とし、後に区に移管した。甘泉園の名称は園内に湧き水があったことによる。庭園としても、泉の水を引いた池を回遊するようになっていた。園内松の木への「雪つりの写真」が有名。

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「穴八幡:高田馬場」
1062年(康平5年)源義家(八幡太郎義家)が陸奥平定の帰りに造った八幡社が起源と言われる。1636年(寛永13年)徳川三代将軍家光の時、旗本の演習場=的場・馬場(650m x 55m )を造り八幡宮を造営した。1641年(寛永18年)山裾に「横穴=恐らく古墳」がみつかり、「穴八幡宮」と称した。 徳川吉宗は世継の疱瘡平癒祈願のため、久しく途絶していた流鏑馬の儀式を復活制定し、1728年(享保13年)流鏑馬を「高田馬場」にて行い、穴八幡に奉納した。 これ以来将軍若君誕生の折に「穴八幡神事流鏑馬」が奉納された。1934年( 昭和9年)には今上陛下ご誕生奉祝として奉納された記録がある。

「箱根山」
1868年(明治維新)以前は、戸山地区一帯は尾張徳川家の下屋敷があり、回遊式庭園「戸山山荘」があった。明治維新後「陸軍戸山学校」となり敗戦まで存続した。当時の庭園の築山=人工の山が箱根山として残っている。因みに、山頂水準点の標高は44.6mで山手線内にて一番標高が高い。

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 夏目漱石誕生の地  夏目家菩提寺
 関口芭蕉庵  切支丹坂下
 黒田学校  箱根山
 穴八幡  放生寺
 水稲荷  諏訪神社
 玄国寺  早稲田大学関連

「他にもいろいろ」 

前回栗林さんのお話のように、この辺り「牛込・高田馬場・早稲田」あたりは、300年くらいの歴史を遡ることが出来ます。
折角、戸山高校(百数十年の歴史の?) に学んでいるのですから、周辺を訪ねてみると面白いのではないでしょうか?

左記のようなものをご紹介戴きました。宜しければご覧になりませんか?

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