江戸時代は、花見・月見・雪見と並んで 滝見(滝浴び?) が流行。テーマパーク・コマーシャルが有ったことを知りました。 |
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「名主の滝公園」
東京都北区が管理している公園。江戸時代に王子村の名主畑野某が屋敷内に滝を開き、一般に開放したのが始まり。1938年(昭和13年)に精養軒が買収し食堂など営業していたが、戦災で消失。1960年(昭和35年)に東京都により公園として整備、その後北区に移管。
江戸時代のテーマパークみたいですね。水浴びも?と資料探したが見つかりませんでした。
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「王子稲荷神社」
平安時代以前からとされる神社。江戸時代に飛鳥山花見などと共に興隆。
落語『王子の狐』は、娘に化けた女狐が男と一緒に料理屋”扇屋”で宴席をもつが、男が”扇屋の卵焼き”を土産に勘定せずに帰ってしまい、女狐が逆に人間に化かされてしまったとの話しです。
一説によると、これは「江戸時代のコマーシャル噺の一つ」でスポンサー名・商品名などの入った噺が他にも多々あるとのこと。
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「王子神社」
源頼朝配下にあってこの地区を支配した豊島氏が「紀州・熊野の若一王子(にゃくいち)神を元亨(げんこう)2年(1320年)勧請したのが神社名称かつ地名の由来とのこと。
境内に、能「蝉丸」や百人一種「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも逢坂の関」でしられる盲目の皇子蝉丸公を祭る滋賀県大津の逢坂山の関蝉丸神社の分れが、江戸時代に「音曲諸芸道の神・髪の祖神」として奉齋されています。
江戸時代に他人の髪をなりわいとする業界が繁盛したのでしょうか。
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「北区自然観察路・石神井川コース」
音無親水公園として、隅田川にそそぐ石神井川(別名・音無川)の旧流路(1956年の狩野川台風被害によりトンネル排水化され枯れ川化)につくられました。
亀田さんのコメントでは『多摩川・石神井川など都内水系沿いの散歩は便利で面白いですよ』とのことです。
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「飛鳥山公園」
徳川将軍・吉宗が鷹狩にこの地を訪れ、多くの山桜の苗木を植えたり、王子権現に土地を寄進するなどして、上野に替わる江戸庶民の花見の場所としたとのことです。名称の飛鳥は吉宗が紀伊新宮の飛鳥明神に因んだとのこと。
明治に入り、実業家渋沢栄一がこの地に洋紙の工場をつくり、別荘をかまえ、文庫(青淵文庫)・小亭(晩香廬)などを残したとのこと。
王子製紙はこの地名からなのですね。財務省印刷工場もあります。
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「西ヶ原一里塚=国指定史跡」
北区西ヶ原2丁目にある江戸時代の一里塚で日光御成り街道の日本橋から二里目にあたります。大正のはじめ、市電の延長のため塚が撤去されそうになったとき、渋沢栄一や
地元町民、学識経験者らが保存を要請し、塚をさけて軌道がつくられたとのことです(北区教育委員会の説明板より)。
日本橋から二里なのですね。
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「ヘルムート・シュミットと言うバラ」
第5代(1974-1982)ドイツ連邦共和国首相の名前を冠したバラがありました。
『栗林さんコメント』によると、1978(S53)年10月にシュミット首相が日本を訪問し福田首相・大平幹事長を表敬した際に、ドイツワインを土産として持参された。それは
「両国にとって印象深い1945(S20)年」産のもの(シュタインベルガー)であったとのワイン余話があるとのことでした。
ワインは、収穫年を象徴できるのですね。思い出深い年のワインを買うひとも居るそうです。
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「旧古河庭園の西洋庭園」
鹿鳴館の設計者として有名なお雇い外国人建築家:ジョサイア・コンドル(1852-1920 東京大学構内に銅像があるとか)の設計による陸奥宗光宅の一部で「幾何学模様の刈り込み整形庭園」です。当日はバラの盛りでした。
最近丸の内に復元した『三菱一号館』もコンドル氏の作品ですね。
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「大紫つつじ」
インターネットに『ケラマツツジ(慶良間躑躅)とリュウキュウツツジ(琉球躑躅)』の交配によって作られた園芸品種との説がありました。
美しい花木の品種を育てて楽しむ人が居たのですね。
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「参加者総勢七人」
陽射しが強く、女性は日傘、男性は帽子が手放せない様子でした。
池の亀も甲羅干しを熱心にしていました。
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「六義園の駒込駅側入口」
「つつじ」が盛りを過ぎて「さつき」にかわり、入園者が多いてえまあに普段は開かない駒込駅側の入口が開いていました。
花見の季節なのですね。
島崎さんのコメントでは『六義園の名前の由来は、詩歌の六分類に因むとのこと』ネットによれば六分類とは「そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌」なのですが・・・・。
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「やあやあ会都内散策:
小石川・六義園と古河庭園」
項 目 |
記 事 |
参加要件 |
やあやあ会関係者、含む同伴者 |
日取り |
2009年5月10日(日曜日) |
集合場所 |
山手線・地下鉄南北線「駒込駅」前の六義園・小石川門前にて待ち合わせ |
集合時刻 |
午前9時30分 |
解散時刻 |
成り行き解散(現地)未定 |
昼食 |
希望者自費・場所未定 |
コース |
六義園と古河庭園(可能なら都立染井霊園と飛鳥山公園も) |
天候催行 |
集合した人が決定。事前申込不要。 |
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桜前線も過ぎて、各公園も静けさを取り戻したでしょうか?
更なる健康増進を期待して、年に一度のやあやあ会以外でも、気軽に旧交を温める機会として、前回(皇居東御苑:2008/10/26)・前々会(穴八幡他:2008/04/20)に続いて、栗林さんにお願いし、都内散策を企画しました。
(写真は著作権フリーのWikipedia Commonsから;クリックで拡大します。)
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「六義園」
元禄8(1695)年五代将軍・徳川綱吉が家臣・柳沢吉保に下屋敷用地として与えられた土地に、柳沢吉保自ら設計、指揮して作った「回遊式築山泉水庭園」で、構造は中之島を有する大泉水を樹林が取り囲んでいます。やあやあ会メンバーが戸山高校を卒業する270年前ですね (^_^)
明治時代に入り、三菱財閥の岩崎弥太郎氏の所有となり、昭和13年に東京市に寄付され一般公開されました。なお昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定されました。
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「旧古河庭園」
明治時代に、陸奥宗光の邸宅があった土地です。宗光の次男潤吉が古河財閥の創業者である古河市兵衛の養子となったため、古河家に所有が移り、その後1917年(大正6年)に古河財閥3代目当主の虎之助(市兵衛の実子)によって洋館と庭園が造られ現在の形となりました。洋館と洋風庭園は、明治から大正期にかけて多くの洋風建築を手掛けたジョサイア・コンドルにより設計され、日本庭園は近代日本庭園の先駆者として数多くの庭園を手掛けた小川治兵衛(植治)により作庭されました。
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都立染井霊園 |
「巣鴨」駅北: ソメイヨシノ桜発祥地・岡倉天心や二葉亭四迷や高村光太郎夫妻などがねむる。 |
飛鳥山公園 |
「王子」駅前: 紙の博物館(王子製紙記念館)・渋沢史料館など、三つの博物館がある。 |
王子の玉子焼き |
名物です。但し、栗林情報では「扇屋」は料理屋閉店・お持ち帰りのみ・・・。 |
くず餅 |
同じく名物です。 |
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「他にもいろいろ」
左記も栗林さんから、ご紹介戴きました。当日の様子でご相談する予定です。
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