*都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生の資料 画面右の×印で閉じます。   昭和31年卒のページにはここから   Count = 1870

このページは、風景写真とそれを撮影した地図上の位置 を結びつけたホームページ=『写真便り+Map』の説明です。
  同期懇親のお役にたてばと思い、君川さんのご援助で作成しました。
下の地図はグーグルの高機能地図で、ご存じのように拡大縮小・衛星写真と地図の切り替えなどが可能な面白いものです。
写真便り+Map』は、この地図のお好みの位置にマーカーを標示し、それにマウスを乗せると説明と写真へのリンクを標示する様にしたものです(地図使用料はゼロです)。
必要なものは、デジカメ写真+撮影場所の緯度・経度です。 緯度・経度を知るのは簡単です。どうぞ、皆さまのご旅行先などで撮影した写真をご投稿下さい。 「デジカメ写真」と「標題」「コメント」「緯度・経度」で充分です。

小石川植物園内の甘藷試作の碑
目黒不動の甘藷祭り
顕彰碑
青木昆陽の墓
墓の説明標示
昆陽先生甘藷試作の地
秋葉神社と昆陽神社
昆陽神社
千葉の試作地
九十九里町にも碑
昔は「五万分の一地形図」などから緯度・経度を読みましたが、最近はカーナビや簡易型のGPS(Sony GPS-3K等)で実測できます。またグーグル地図から緯度・経度の推定も可能です。=>『緯度・経度を知るページ
実例として、幕末の蘭学者、甘藷先生こと青木昆陽の記念碑が千葉に三箇所あり、これを対象に『写真便り+Map』を作りました。その二箇所は写真撮影と同時に緯度・経度を記録しました。 残りの一箇所(九十九里浜)は、現地の教育委員の資料から小学校の近傍とのことなので推定しました。更に、君川さんから、更なる青木昆陽関係資料を戴き追加しました。
小石川植物園の碑 

「小石川植物園内の甘藷試作の碑」
徳川吉宗が江戸町奉行の大岡忠相に作らせた、小石川養生所内の薬種園で、青木昆陽が甘藷を試作したとされます。碑の建立は大正10年。なお、甘藷については米国ペリー提督が南米産の新品種をもたらしたとの説があります。

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目黒不動の甘藷祭り 

「目黒不動の甘藷祭り」
毎年10月28日に目黒不動で甘藷祭りがあります。
目黒不動=泰叡山滝泉寺(天台宗)境内に青木昆陽の墓があります。昆陽は晩年目黒・大鳥神社裏にベッドに別荘を構え生前に墓を造ったとのことです。
北緯:35.37:31:31 東経:139.42:40:7とWikipediaに有りますが疑問、緯度・経度のページで実測しました。

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顕彰碑 

「顕彰碑」
目黒浮動には、芝・麻布の『甘藷組合』がたて顕彰碑とか、甘藷組合が明治44年に建てた「昆陽青木先生之碑」があります。

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「青木昆陽の墓碑」
自ら「甘藷先生墓」と刻した墓とのことです。

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墓所説明 

「墓所の説明標示」
とあります。

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「千葉の昆陽先生甘藷試作の地」碑
千葉県幕張にあります。大正8年(1919)にたてられました。青木昆陽がこの辺りで、甘藷の栽培に成功したとあります。
北緯: 35.660802 東経:140.055263 とSony GPS-3Kで実測しました。

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「秋葉神社と昆陽神社」
近くの、秋葉神社(左)と並び青木昆陽を祭る神社が建立されています。
北緯:35.661151 東経:140.054974 と実測しました。

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    「昆陽神社」
甘藷により飢饉から救われた感謝からといわれています。天明の大飢饉の時にこの辺り餓死者た出なかったのは甘藷のためとし、青木昆陽を神としたようです。
天明の大飢饉とは、 江戸時代中期田沼意次の時代17882-1788 に発生した日本近世最大の飢饉、悪天候・冷害の続くなか岩木山・浅間山が噴火し火山灰と日照不足により発生した。青森県八戸市内には餓死萬霊供養塔があるそうです。


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 甘藷試作地の説明 青木昆陽甘藷試作地
秋葉神社の裏手です。
千葉県教育委員会の標示
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  「九十九里町の豊海小学校近くにも栽培地の碑」
関東地方の甘藷栽培発祥の地とあります。
「緯度・経度を知るページ」から北緯:35.517975 東経:140.419178 と推定しました。

 
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