*都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生の資料 画面右の×印で閉じます。   昭和31年卒のページにはここから   Count = 2400

都立戸山高校の昭和31年卒業・3年H組(柴田治先生ご担任)が小石川後楽園で有志のクラス会を行ないました。 同期・野口武彦さんの著作『安政江戸地震 災害と政治権力 驚天動地から政権崩壊へ (ちくま学芸文庫)』(→)によると、 ここは、幕末の政治と災害の舞台とのことです。
小石川は名前のように、旧河川敷のため、天下の副将軍・水戸様の上屋敷ではあるものの、 ペリー来航2年後の1855年に江戸を襲った、安政江戸地震の時には被害が大きく、海防参与・水戸斉昭公がお庭に避難したとか、攘夷派の論客・藤田東湖が邸内で圧死したなど、ご自身の阪神大震災の経験とあわせ、都市直下型地震について詳述して居られます。
われわれ同級生は、歴史の一部になってしまった人々を想いつつ、卒業後50余年の己と周囲の無事を感謝し、先生に教えられた「そなえよ常に」を思い出しました。 そのため『自然災害史観と装置インフラの変遷−わが国を襲った自然災害とインフラ整備の歴史』をリンクしました。(財)国土技術研究センターの労作です。

  • 日時:2010年6月11日(金)午後13時より
  • 会場:小石川後楽園 函徳亭内 美都屋
  • 交通:都営地下鉄大江戸線「飯田橋」下車 徒歩約3分
  • 写真撮影場所の緯度・経度を計測し、グーグル地図にマーカーを標示してあります。そのマーカーにマウスを乗せると説明が出ます。
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地下鉄大江戸線・飯田橋駅
小石川後楽園
初代藩主・徳川頼房
第二代藩主・徳川光圀
明国の学者 朱舜水
庭園入口
花菖蒲と稲田
大泉水と築島
「函徳亭」
和室・定員20名
クラスメート
 

「都営地下鉄大江戸線・飯田橋駅そば」
交通としては、正に東京(江戸)の中心にあります。現代風に言うと「ドーム球場」の隣で地下鉄・JRの最寄駅が3ケもあり、交通至便。江戸時代で言うと、江戸城のすぐ隣です。

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「特別史跡・特別名勝 小石川後楽園」
水戸徳川家の江戸上屋敷(水戸藩は江戸常勤のため、常時当主・正室・嫡子が住んだ)に築造された築山泉水回遊式日本庭園とのこと。1929年に水戸徳川家初代藩主・徳川頼房が築き、嫡子徳川光圀(水戸黄門)が改修した。国の史跡指定の祭に、岡山の後楽園と区別のために「小石川」を冠したとのこと。

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「初代藩主・徳川頼房=庭園案内より」
徳川家康の11男(二代秀忠は3男)。1603年出生。1606年に3歳で常陸下妻城10万石の領主、ついで1609年に6歳で常陸水戸城25万石の領主となる。1661年死去。官職位階は「正三位権中納言」。事跡として、大阪夏の陣(1615)では駿府城を守備、死の直前に家来の殉死を止めさせるように、世子光圀通じ遺言した。

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「第二代藩主・徳川光圀(水戸黄門)=庭園案内より」
初代水戸藩主・頼房の3男。1633年に世子と決定し「水戸藩江戸上屋敷=小石川後楽園」にて世子教育を受ける。1657年に明暦の大火で小石川藩邸が焼失、水戸藩中屋敷・駒込邸に移り「史局」を設け、『大日本史』の編纂を開始、水戸学と言われる「日本の歴史の評価・将来像の設定の学問」の形成に繋がった。1661年2代目藩主となる。1690年に隠居。現在の茨城県常陸太田市の「西山荘」に隠棲、水戸黄門伝説がある。1700年死去。

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「明国の学者 朱舜水=庭園案内より」
中国大陸で、モンゴル帝国(元朝)に次く明朝で農民反乱が頻発、その一指導者・李自成が1644年に北京を占領し明皇帝を廃した。同年、万里ノ長城北の満州族(女真・ツングース)のヌルハチ・ホンタイジが北京を落とし「清帝国」を建てた。
この為、大陸から亡命者が日本に流入、あるいは台湾に拠った「鄭成功=国姓爺」が徳川家光に派兵を求めるなど外交案件があった。朱舜水は1659年日本に亡命し、水戸光圀に影響を与えた。「後楽園」の名称を選んだと言われる。亡命学者が日本の政治に影響を与えた例である。

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「小石川後楽園・庭園入口」
開園時間:9:00〜17:00
入園料 :一般300円、65才以上150円

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「花菖蒲と稲田」
菖蒲田の花菖蒲が綺麗でした。6月がお勧めとのこと。また、菖蒲田の傍には光圀公が家族に農民の苦労を教えようと作ったと言う田圃があり、現在は文京区の小学生が田植え・稲刈りを行うとのことです。

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「庭園中心の大泉水と築島(蓬莱島)」
池には美しい鯉が泳ぎます。島には弁天さまの祠があるとのこと。
祠を作るのは中国的庭園なのでしょうか?日本独特なのでしょうか?疑問です。
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「函徳亭」
現在の建物は、四代目。昭和61年に改築。造園当初からこの場所に茶室があったとのこと。「朝鮮通信使」や「琉球使節」の接待に使われたとの説が有る由緒ある場所であります。

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「和室・定員20名」
20名までであれば和室に椅子を置いて会食が出来るようです。他に、広間・40名、洋室・15名、日本間・10名など魅力的な設備ですが、公的機関のため利用には抽選をクリアする必要があるとのこと。
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「有志で庭園鑑賞」
出席者(20名)の内には、未だ平日忙しい人も居り最後までご一緒できない方も居られましたが、有志で仲良く庭園を鑑賞しました。出席者全員の写真は幹事さんから城北会誌に投稿される予定です。
前幹事・赤間さん、今回幹事・鶴田/亀田さんのお判断で、「平日・昼食」の会となりました。 次回予定は、2011年6月10日(金)幹事は手塚さん/中村さんです。



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