*都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生の資料 画面右の×印で閉じます。   昭和31年卒のページにはここから Count = 1219
『都立戸山高等学校・昭和31年卒業:3年F組の小堀鴎一郎さんの著書を速報します。
特報:NHK:BS1スペシャル 6月10日(日)後10:00~11:49にて在宅死 ”死に際の医療”200日の記録・・・に小堀さんが出演します。

著作者    : 小堀鴎一郎 さん (3年F組)
著作名    : 死を生きた人びと     
       : 訪問診療医と355人の患者    
発行日    ; 2018年 5月 2日 
発行所    ; みすず書房
著書よりの抜粋

まもなくわが国の国民の三分の一は六十五歳以上の高齢者が占めるようになり、そのうち四分の一から五分の一に介護が必要となる。わかりやすく言えば、「寝たきり」になる。毎年の死者数は現在よりも三〇~四〇万人増となる。これは地震予知と異なり、九九%実現することである。このいわば「高齢者の人口爆発」に対処するために最も必要なのは、優れた国家戦略でも、つぎこまれる莫大な国費でもない。社会、とりわけ直接の当事者である、医師・患者・患者家族が『老いること』を理解し『死ぬこと』を受け入れ、自分にとって、家族にとって、そして社会にとっても『望ましい死とは何か』に思いを致すことである。それは壮大なパラダイムシフトとも言える。(第一章 在宅医療の世界へ)より

患者や患者家族の意向は、しばしば医学的根拠を無視し、思い込みや誤解を含んでいることも確かである。したがって在宅主治医たるもの、自らの経験の照らした見解を述べるべきである。私は自らの見解として次のように伝えている。
1 患者が食物や水分を口にしないのは、老衰でものを飲みこむ力がなくなったからである。食べたり飲んだりしないから死ぬのではなくて、死ぬべきときが来て食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解すべきである。
2 このような状態で病院に入院させて胃瘻を造設したり、点滴によって水分とか栄養を補給すると、患者の限界にきた心臓や肺に負担がかかり、患者自身もつらい思いをするし、周囲の目にはむくみなどの兆候が明らかになる。
3 家族にとって患者が飲まず食わずの状態で衰弱していく状態を目にするのがつらいのならば、患者の身体に負担の少ない皮下注射で最低限の水分を供給する方法もある。
4 看取るのは私でなく家族である。患者が息を引きとるとき、私が傍らで「お亡くなりになりました」と頭を下げることにどのくらいの意味があるだろうか。本当に意味があるのは、家族が静かに患者の手を握ってあげることではないか。(第一章 在宅医療の世界へ)より

 私は医師という職業を選び、さらに外科医という黒白の明瞭な世界で半世紀を生きてきた。その間、医学雑誌に短いエッセイを書いた記憶はあるが、まとまった文章を書いた経験は皆無である。そこで、事例と引用文で成り立つ、すなわち事実のみで成立する書物を作ることを試みた。「訪問診療」と「一人一人の看取り」という、マニュアルのない、黒白のついかない世界での体験をまとめるに当たっては、事実の断片をコラージュしていくという方法論が有効であろうと考えたのである。(あとがき)より

表紙画像
小堀 鴎一郎さんのご著書の表紙です(お写真は 奥山淳志写真集『弁造』より)
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