*都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生の資料 画面右の×印で閉じます。   昭和31年卒のページにはここから Count = 513

東日本大震災10年です。畑村洋太郎さん関連資料を掲載させて戴きました。

『畑村洋太郎東大名誉教授』は、戸山高卒(1959=S34)=>東大工学部修士=>日立製作所入社(1966)=>東大助手(1968)=>教授(1983)=>2001年定年退官、名誉教授=>NPO法人失敗学会設立で著名ですが、2011年5月 - 政府の東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会(所謂 政府事故調)で委員長を勤められました。
委員会ホームページの引用:『東電福島原発事故調査・検証委員会は、2011年5月24日付け閣議決定に基づき開催されておりましたが、2012年7月23日の最終報告提出をもって調査活動を終了し、2012年9月28日の閣議決定により廃止されました。  以下は、当時の委員会の活動記録についてアーカイブとして公表しているものです。』
その後、畑村先生は、2013年4月に講談社から「福島原発事故はなぜ起こったか 政府事故調核心解説」を上梓されました。 畑村先生のその他の各種活動については「畑村創造工学研究所ホームページ」が貴重です。 ご著書の特徴的なものを示します。

『福島原発事故はなぜ起こったか:政府事故調核心解説 畑村洋太郎・安倍誠治・淵上正朗2013/04/20』



「Page192:避難・帰還と除染をどう考えるか」
●住民避難・帰還および除染について、住民への被害全体を最小にすることを基本とすべき。・・・帰還の当面の目標は3年、地域の復活に30年、福島県全体の完全な復活に100年。
●除染によって集めた土などまとめて、離れた場所に移動し保管する事は、実現はほぼ不可能ではないか。古来の日本人が噴火災害に対応した「深穴埋め」が実際的である。
「Page196:再稼働をどう考えるか」
●あと30年もすると、今回の事故を経験した世代が3分の2程度に減るのみでなく、事故をよく知らない世代が社会の中心になり、社会全体の考え方が変わることも十分考えられる。
●原発は本当にやすいのか?代替エネルギーは可能性があるか?再稼働に欠かせない減災策!
「Page201:国民一人ひとりが考えなければならないこと」
●日本国の将来の全体像を考えた上で十分議論すべきである。その際に大切なことは、人任せにしないことである。日本の将来の全体像を考え、議論を尽くさなけらばならない。

『S34卒50周年記念講演会・福島原発事故調査・検証を終えて・畑村洋太郎 2013.03.16』

が戸山高校において開催されました。
当日の戸山高校におけるご講演の中で、 『電源喪失した暗黒の原発内で自分たちの自動車のバッテリーを担いでき て計器を読み取るなど、自己に付託 された使命を考え、主体的・能動的に行動した素晴しい人々の御蔭で今がある』とか 一方では『事故発生直後に、オフサイトセンターから放射線量増を理由にセ ンター員が 避難したが、実はセンターの放射線防護の予算は3年前から確保されており総務 省が毎年防護実施の注意喚起をしたにも関わらず、実施しないと言う不作為があった』とか 『9.11米国の同時多発テロのあとで、米国から非常用発電機とコンプレッサー準備の必要性が機密保持のため口頭で助言されたが上部に伝達しない 傲慢があった』など、『各人一人ひとり、に付託された責任』を問ぅお考えが述べられました。

記念講演録音の書き起こし(一部)を示します

『特別対談 畑村洋太郎 vs 加藤陽子 福島原発事故から何を学ぶか 2013.04.13』

  対談の中で
●畑村:日本は「独立した個」をつくらないことを是として、最大効率で動くことばかり考えてきた。そのツケが今回まわってきたように思えます。
●加藤:これは近代日本の軍事史を研究している歴史家として、すごく既視感を覚えます。  たとえば、日米開戦を決意するにあたって、海軍のある動員課長が調べた「戦争になったら船舶が爆撃されてどのくらい失われるか」というデータが重要な意味を持ちました。彼は開戦派の上司に調べろと言われたから、撃沈数は少ないほうがいいんだろうと、わざと第一次世界大戦中の古いデータ、つまり航空機による爆撃のない時代のデータを調べて上に提出する。  その数字が御前会議でも使われて、結局、「撃沈される船舶量より建造できる船舶量のほうが多くなる」「ならば、開戦オーケー」という重大な決定につながりました。