*都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生の資料 画面右の×印で閉じます。   昭和31年卒のページにはここから
穂高連峰望見
梓川右岸
西穂高登山道入口
追悼碑探索
穂高神社鳥居
穂高神社奥宮
河童橋・夕景
穂高・夕景
金山ヒュッテ
記念撮影
乗鞍高原マップ
高原散策
東大銀鞍荘とは
「VSA」の由来
記念撮影
案内図
牛留池と乗鞍岳
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牛留池の解説
一の瀬野営場

『こきこき会・戸山高校山岳班関係者の軽登山と旅行の会』が行なわれました。
日時:平成20(2008)年11月8日(土)9日(日)
第一日:上高地 河童橋→登山口→玄文沢(追悼)→穂高神社→明神池
第二日:乗鞍高原 東大ヒユッテ→牛留池
参 加:20名
宿 泊:長野県南安曇郡安曇村鈴蘭 金山ヒュッテ

当日の写真の一部を示します。(動画・スライドショウ以外はクリックで拡大します)
穂高連峰望見

新宿からバスを仕立て、上高地バスセンターに直行しました。
河童橋から、冠雪した穂高の峰を望みました。
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梓川右岸

川沿いにくだり、玄文沢をめざします。
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西穂高登山道入口

西穂高登山道入口の前を過ぎると、追悼の場所「玄文沢」に進みます。「玄文沢」は、54年前の昭和29(1954)年の冬山で落命した戸山高校山岳部関係者を荼毘に付し、追悼碑を建立した場所です。

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追悼碑探索  拡大しません

追悼碑は、その後の沢の崩落で埋もれがちで、毎回探索が必要です。今回も当時の遭難者探索に参加された先輩の方々とご一緒に捜しましたが、目印に建立したケルンはあったものの、碑本体は残念ながら、見つかりませんでした。
50余年の歳月と地形の変化です。

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穂高神社鳥居

探索・慰霊の後、梓川右岸を上流に向かい穂高神社前を通りました。

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穂高神社奥宮

神社には穂高関係の遭難者も奉られています。

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河童橋

夕方にバスターミナル付近に戻りました。

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穂高

山が大きく見えます。

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金山ヒュッテ

例年のように、金山ヒュッテにご厄介になりました。

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記念撮影

翌朝、皆で記念撮影をしました。

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乗鞍高原マップ

2日めは、乗鞍高原散策です、上高地よりも散策路が整備されています。

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乗鞍高原散策

当時からの歴史を持つ、東大銀鞍荘に向います。

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東大銀鞍荘とは

現在の正式名称は「スポーティア乗鞍」とのこと。
東京大学運動会スキー山岳部(通称:TUSAC=チュザック)の手によって建てられた立派な山小屋で、(財)東京大学運動会に移管され、一般の学生、教職員の方々等に宿泊所として利用されているとのことです。

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「VSA」の由来

1940(昭和15)年に東京大学乗鞍寮=銀鞍荘=Villa Sellae Argenti=VSAとして建築された歴史が由来とのことです。
現在のものは、1966年に建て替えられたとのことです。 

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記念撮影

先輩はじめ、元気な方々が楽しそうに記念撮影をしておられました。

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案内図

案内図に従い帰路につきます。
 
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牛留池と乗鞍岳

途中で、乗鞍岳の水鏡と言う、牛留池に立ち寄りました。
 
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牛留池の解説

解説です。
 
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一の瀬野営場

バスを待たせた地点に降りて、散策を終わり、又の訪問・追悼を願い帰路につきました。

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