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諏訪大社とは:
諏訪大社(すわたいしゃ)とは、長野県の諏訪湖近くにある神社です。諏訪湖の南に、上社(かみしゃ)本宮・前宮が、北に下社(しもしゃ)春宮・秋宮があり、合計4箇所に社殿があります(←)何れの社殿も四隅に「御柱(おんばしら)」と呼ばれる巨大な木の柱(神木=樹齢200年ほどの樅の巨木・直径約1m、長さ約17m、重量約10ton)が建てられ、祭神の「依り代」と考えられています。全部で4x4=16本あります。
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御柱祭(おんばしら)の「木落し坂」:
御柱祭は、西暦804年・桓武天皇の時代から記録に残っているもので、7年に一度(十二支の寅と申の歳)に前記の巨大な神木を、新しいものに入れ替える行事です。諏訪地方の6市町村21万人参加・2~3000人の直接労力奉仕で、動力・牛馬はもとより、車輪・コロも使わず人力のみで約10キロメートルの山道を10tonの木材を、曳き降ろす行事を続けてきました。左の写真はその難所「木落し坂」です。
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7万6千の大観衆:
七年に一度の御柱祭「木落し」を見ようと、「木落し坂」の正面、国道142号線と砥川の河川敷は、76000人の人々で埋め尽くされました。
「諏訪太鼓」やら「木遣り」
にどよめき、固唾を飲む思いで見守っていました。
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下社の御柱・木落し・スタンバイ:
左の写真は、下社の御柱が山中から神社まで曳かれる途中の難所・最大傾斜35度、距離100mの「木落し坂」の上部に曳かれた状況です。
「木落し坂」の上で
「山出し」の曳き手たちは、気持ちを合わせるべくスタンバイし、高らかに「木遣り」とラッパの響きをひびかせます。
巨木の先端には、命知らずのリーダー(華乗り)他、数十名の氏子が乗り、我が身をささげ、曳き手を励まします。
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木落しの準備・白布によるお清め:
曳き手たちが坂の下に移るあいだ「御柱」は、後方から「追い掛け綱」で支えられます。
木落し直前には、神主を先頭に白布をもって隊列が坂を清めつつ下り、ご加護を念じます。
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木落し・氏子の乗った巨木が奔る:
準備が整うと、綱が切断され、御柱は人を乗せたまま土煙をあげ轟音を響かせながら、坂を突き進みます(←)。
振り落とされずに乗りこなした者は英雄です。俗謡に「男を見るなら七年に一度、諏訪の木落し、坂落し」とあるそうです。
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木落し・土煙り:
土煙りが未だ立ちこめて居ます。
長野県無形民俗文化財として、諏訪地方6市町村21万人参加の「天下の大祭」で、16本の「御柱」の「山出し」・「里曳き」はそれぞれ地域ごとの分担ですから、各地区の「いでたち」は、赤あり・青あり・黄ありと競い、実にカラフルで粋でした。
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「木落し完了」
一つの木落しが完了し皆が集まっています。
無事に坂を過ぎた「御柱」は、さらに1Kmほどの道のりを曳かれて安置され、次の5月10日前後の「里曳き」の別町内の曳き手を待ちます。
木遣り唄の一節に「御小屋(おこや)の山のモミの木は里に下りて神となる」とあるそうです。「諏訪大明神」は、古来の狩猟を司る神々をも纏めているとか、森で暮らした郷土の人々の誇りを感じる祭りでありました。
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