2011年3月11日の「東日本大震災」から早くも一ヵ年が過ぎました。被災された方々の為に、夫々出来ることを続けたいと存じます。 同期・野口武彦さんは、ご自分の「阪神淡路大震災」の被災経験と重ねて、「安政江戸地震 災害と政治権力」を出版し『安政江戸地震の12年後に幕府が崩壊した。 衆人環視のなかで巨大災害の手当てをキチントやれない国家権力は長続きしない』と記述しています。 また、東京大教授・加藤陽子さんは、震災一周年にあたり「毎日新聞コラム:時代の風:大震災、国の記録」において伊丹万作のエッセー「戦争責任者の問題」(1946年)を引用し『「多くの人が、今度の戦争でだ まされていたという」しかし、だまされたと嘆き、一切の責任とは無縁であるかのようにふるまう人々=「だまされていたといって平気でいられる国民」なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう』と、「歴史を記録し学ぶ態度」に警鐘を鳴らしておられます。ただ、新しい時代の曙光として「東北方面総監部政策補佐官・須藤彰氏による「自衛隊救援活動日誌」(扶桑社)」などを称揚しておられます。 平成24年3月の、皇居東御苑を訪ねました。 前回の散策はこちら 3月の東御苑は、梅と早咲きのサクラでした。大手門の「二ノ丸向蔵館」では『皇后陛下喜寿記念特別展』が開催され、入り口には、鹿児島紅梅・白梅が咲いていました。本丸広場周辺では、早咲きのサクラ「ツバキカンザクラ」や「リュウキュウカンヒザクラ」「カンザクラ」が盛りでした。早咲きの「カワズサクラ」はもう葉桜になっていました。 日時:2012年3月21日(水)
「鹿児島紅梅・白梅」 大手門から入ると、宮内庁所蔵品の展示を行っている「三の丸尚蔵館」があり、紅梅・白梅が咲いていました。館内では「皇后陛下喜寿記念特別展」が行われていました。『明治4年,昭憲皇太后がお始めになり,大正,昭和を経て平成の御代に入った今も,現在の皇后さまにより大切に引き継ぎ,保たれているご養蚕があります。 この度,宮内庁では,皇后さまが喜寿を迎えられたことを記念し,ご養蚕に関係する品々,これまで二十余年にわたり大切にお育てになり,16年間にわたり,欠かさずに御下賜を続けられた小石丸の絹糸によって復元された正倉院宝物の染織品や,傷んだ表紙裂 ひょうしぎれ及び巻緒の修理を行った鎌倉時代の絵巻の名品「春日権現験記絵」などの展示を通し,文化的にも意義深い貢献となった皇后さまのご養蚕につき,紹介することといたしました。』 (画面クリックでスライドショー) 戻るページトップ 地図に戻る
「寒桜(カンザクラ))」 『寒桜(カンザクラ)』が「本丸大芝生」の周辺で咲いていました。本丸大芝生は明治維新の直後は焼け野原だったそうです。現在は、周辺の高層ビルの白と緑の芝生が対照的です。 (画面クリックでスライドシウ) 戻るページトップ 地図に戻る
「琉球寒緋桜=リュウキュウカンヒザクラ」 『琉球寒緋桜=リュウキュウカンヒザクラ』は、釣り鐘状の花が特徴で学名の種小名 campanulata は「カンパニュラの様な」と言う意味で、キキョウ科のカンパニュラ属の花が下向きに咲く所になぞられて名付けられた。葉は秋になると紅葉する。この早咲きの特性と、下向きに花が咲く特質が、他のサクラと交配した時に影響を与え、各地で優秀な園芸品種が出来ている。その中でも有名な物は、このサクラとオオシマザクラの自然雑種、サトザクラ‘河津桜’が近年、有名になり観光名所に植えられている、とのこと。 (画面クリックでスライドショウ)
戻るページトップ 地図に戻る
「椿寒桜=ツバキカンザクラ」 『椿寒桜=ツバキカンザクラ』が「桜の島」に咲いていました、遠望は「江戸城天守閣址」です。何か、江戸城天守閣再建を唱えるグループがあるそうで、論理として「大阪に在って名古屋に在って、東京に無いのはおかしい」とのこと、大儀名分は様々です。 (画面クリックでスライドッショウ) 戻るページトップ 地図に戻る
Copyright (C) 2006-2012 ,All Rights Reserved