2011年3月11日の「東日本大震災」から早くも一年と一ヶ月が過ぎてしまいました。被災された方々の為に、夫々出来ることを、粘り強く続けたいと存じます。 同期・野口武彦さんは、ご自分の「阪神淡路大震災」の被災経験と重ねて、「安政江戸地震 災害と政治権力」を出版し『安政江戸地震の12年後に幕府が崩壊した。 衆人環視のなかで巨大災害の手当てをキチントやれない国家権力は長続きしない』と記述しています。 また、東京大教授・加藤陽子さんは、震災一周年にあたり「毎日新聞コラム:時代の風:大震災、国の記録」において伊丹万作のエッセー「戦争責任者の問題」(1946年)を引用し『 「多くの人が、今度の戦争でだまされていたという」しかし、だまされたと嘆き、一切の責任とは無縁であるかのようにふるまう人々=「だまされていたといって平気でいられる国民」なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう』と、「歴史を記録し学ぶ態度」に警鐘を鳴らしておられます。ただ、新しい時代の曙光として「東北方面総監部政策補佐官・須藤彰氏による「自衛隊救援活動日誌」(扶桑社)」などを称揚しておられます。 平成24年4月の、皇居東御苑を訪ねました。 前回の散策はこちら 4月の東御苑は、春うららで、サクラの盛りでした。早咲きのサクラは青葉となり、「サトザクラ東錦」や「サトザクラ一葉」が咲いていました。また、天守台(江戸城天守閣跡)の上を飛行船も飛んでいました。 日時:2012年4月18日(水)
「天守台上空の飛行船」 現存する「天守台」は、元和8年(1622年)に二代将軍秀忠が、先代家康が建立した天守閣を立て替えたときの石組みとのこと。この上にあった天守閣は、明暦3年(1657年)の明暦の大火(振袖火事)で焼失したが、幕府重臣・保科正之の建言により戦国の象徴である天守閣より城下の復興を優先するとして、再建されず現在まで石組みのみ残っている。 (画面クリックでスライドショー) 戻るページトップ 地図に戻る
「桜の島」 「天守台」と「本丸大芝生」の傍らに『桜の島』があります。『東御苑には30種類ほどのサクラがあり、この桜の島では、その約半数の品種を見ることが出来ます』とのことです。品種説明の拡大図はここから。 (画面クリックでスライドシウ) 戻るページトップ 地図に戻る
「サクラがいっぱい」 『桜の島』の他にも、いろいろなサクラが咲いています。「ソメイヨシノ」 「ヤエベニシダレ」 「ウコン」 「ミドリザクラ」 「フゲンゾウ」 「タイハク」 「イチヨウ」などなどです。 (画面クリックでスライドショウ)
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