*都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生の資料 画面右の×印で閉じます。   昭和31年卒のページにはここから   Count = 709

「2011年3月11日14時46分の東日本大震災」から4年10ヶ月が過ぎてしまいました。
また、1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒に発生した「阪神淡路大震災」から21年です。”月日のたつのは速いもの・・・”、”歳月人を待たず”。 被災された方々の為に、夫々出来ることを、粘り強く続けたいと存じます。

 同期・野口武彦さんは、「阪神淡路大震災」の被災経験と重ねて、著書『安政江戸地震 災害と政治権力 →』において『安政江戸地震の12年後に幕府が崩壊した。 衆人環視のなかで巨大災害の手当てをキチントやれない国家権力は長続きしない』と記述しました。 

『2014年7月16日追記』
 2015年のNHK大河ドラマ『花燃ゆ』は、幕末の兵学者・吉田松陰関係の物語とのこと。野口武彦さんは、著書『江戸の兵学思想』で、『兵学は戦争の思想ではない。 江戸時代の儒学は、平和を「常」と考え、戦争を「変」と考える。それに対して兵学は、 世界はいつも相争う諸勢力の動態としてとらえ、治世はその均衡状態に他ならないと考える。 《平和とは、異なった手段による戦争の延長なり》 拙著に今日の社会にも通じるメッセージが生き残っていたら幸いである。』と記述しています。

『2012年9月2日追記』
NHK防災番組「釜石の奇跡」を見て、恩師・都立戸山の故柴田治先生を思い出しました。先生は、旧制中学と新制高校の両方に教鞭をとられ、逝去時には多くの新聞が記事にした「府立四中・都立戸山の名物教師」です。卒業後数年して、先生をお招きしたクラス会で津波の話が出た時に(1983年5月26日の日本海中部地震・遠足で海岸にいた小学生43人中14名が落命。慰霊碑記事こちら)。柴田先生は「海岸で地震があったらすぐ避難せよと、小学教科書に書いた時代もあったのだが」と珍しく慨嘆されました。常日頃は絶えて新時代の批判などされす、「○○先生は優秀な方なんだよ」と新時代の若い先生を褒めておられた先生でしたが、教科書から消された津波の話は残念だったのだろうと思います。昭和12年から昭和22年の(国定)国語教科書に「稲むらの火」が掲載されていたが、時代の推移で消されたらしい。再び、小学校で津波避難を教える時代が来ました。  なお ウィキペディア「稲むらの火」はこちら。

  戦後70年。先の大戦で集団疎開・大空襲などを体験した世代として『過去の歴史的事実を充分に知って未来に備えることが大切と思います』  の言葉を味わいたく思います。



平成28年01月の、皇居東御苑を訪ねました。 前回の散策はこちら 
日時:2015年01月20日(水)

  • 写真撮影場所の緯度・経度を計測し、グーグル地図にマーカーを標示してあります。そのマーカーにマウスを乗せると説明が出ます。
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「梅林坂のうめ」
「福寿草」
「バラの島の手入れ」
「ひまわりのスペース」
「梅林坂のうめ」

「梅林坂のうめ」
本丸と二の丸をつなぐ坂が「梅林坂」で太田道灌が築城当時に天神社をまつり、紅梅・白梅数百本を植えたと言われるが、場所は定かで無いとのこと。現在のものは昭和42(1967)に植えられた、50本余りのものである。梅林坂には山王権現社もあったが、城外に移され、赤坂の山王日枝神社となっているとのこと。

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「福寿草」

「福寿草」
福寿草が咲いていた。多年草。落葉樹林に生える野草。早春、直径3〜4cmの花が咲く。樹林の葉が茂る初夏には休眠する。北海道〜九州、中国、シベリア東部に分布する。毒がある。とのこと。

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バラの島の手入れ

「バラの島の手入れ」

職人さんが、剪定などの手入れをしていました。冬季はバラの休眠期だそうで、細い枝、未熟な枝などを剪定し、葉は残さずに取り除きます。(病害虫の越冬駆除)
つるばらの枝の整理と誘引を行います。 先ず、枯れ込んだ枝、病弱な枝や込み合った枝を切除します。 途中からシュートが出ている枝は、その先の古枝を切除します。などなど大変です。


(画面クリックでスライドシウ)
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ヒマワリのスペース

「ヒマワリのスペース」


「ハルカのひまわり」は緑肥のための草が育っていました。絶え間のないお手入れ大変です。
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