*都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生の資料 画面右の×印で閉じます。   昭和31年卒のページにはここから Count = 245

1955年戸山卒 畑村洋太郎先生著

   『やらかした時に どうするか』の抜粋

          高校生達のために・・・・・・ちくまプリマー新書(2022)

(215ページ) SNSなどのネット上で、匿名性の陰に隠れて、他人の失敗を無責任に叩いたり、誹謗中傷する風潮が蔓延した現代において、過剰に委縮したり、失敗を恐れるあまり、貴重な成功に機会や成長のチャンスを失うことがないように、失敗学で身につけた知識やノウハウを活かして、高校生の読者のみなさんにはよりクリエイティブな生き方を実践してほしいというのが、この本の企画です。

表紙

『福島原発事故(2012年)』、『新型コロナウイルス感染症(2021年)』、『ロシアのウクライナ侵攻(2022年)』 などの『危機的状況』に対して、(217ページ)なにより重要なのは「危機的状況(=失敗)がなぜ起ったのか、これからどう対応すべきか、自分の頭でちゃんと考えて、的確な対策をとること」です。それはまさに、「失敗学 => 創造学」の根幹をなすことなのです。 「おわりに」から

(37ページ)「自分の頭でちゃんと考えないと、取り返しのつかない失敗を起こす」という話を象徴する失敗事例があります。 2011年3月11日に発生した東日本大震災で、福島第一原子力発電所が事故を起こしました。その結果10年以上経ったいまもなお、福島県の一部の放射能汚染地域で人々がくらせない状況となっています。
 この事故が深刻な事態となった原因に一つは、「非常用ディーゼル発電機」が発電所の地下一階にあったため、津波による浸水で動かなくなったことです。 ではなぜ「非常用ディーゼル発電機」は地下一階にあったのでしょうか? その理由こそ「関係者が自分の頭でちゃんと考えなかったから」なのです。
 経緯として、地震が発生したとき、原子炉は直ちに非常停止されました。更に、地震で発電所の外の電源が停止しましたが、構内の「非常用ディーゼル発電機」が自動的に起動して原子炉の給水冷却が続けられました。
ところが、約50分後に津波が襲ったことで事態が大きく変わります。
 この津波で第一原子力発電所の地下一階は浸水し、水に浸かった「非常用ディーゼル発電機」などが使い物にならなくなったのです。そのため、原子炉への給水による冷却が行われなくなり、核燃料周辺の水は蒸発し続け、露出した核燃料の被覆が水蒸気と反応して大量の水素が発生しました。この水素が容器に充満し、漏れ、原子炉建屋の上部にたまり、津波が来てから約24時間後に、何らかの原因で建屋内で水素が引火し、爆発し、建屋の屋根を吹っ飛ばしたのです。「核燃料が爆発したのではありません、水素ガスに引火爆発したのです」
 つまり、事故や災害時に重要な役割を果たす「非常用ディーゼル発電機」や電源盤などが地下一階ではなく、津波の被害を受けない高台か、せめて長時間の浸水は避けられた地上に設置されていたとしたら、核燃料棒の冷却は続けられ、状況は変わっていたかもしれないのです。
いろいろ調べた結果、私は、驚くべき事実を推認するに至りました。
実は、東京電力福島第一原子力発電所で「非常用ディーゼル発電機」などを地下一階に設置したことには、科学的根拠がなかったのです。
ただ「見本にしたアメリカの原子力発電所の設計がそうだったから」というのが主な理由だったらしいのです。ならば、福島第一原子力発電所の設計の見本となったアメリカの原子力発電所では、なぜ、地下に設置しなければならなかったでしょうか?
その理由がわかったとき、私は愕然としました。
見本にしたアメリカの原子力発電所の「非常用ディーゼル発電機など」が地下一階に設置されたのは「地上に設置したら、巨大トルネード(竜巻)の襲来を受けたとき破壊されてしまうから」でした。

原発と竜巻 原発と竜巻

トルネードのない日本で「非常用ディーゼル発電機」を地下一階に設置した”愚”

上の、図1と図2の二つの地図を見比べて下さい。
左の地図の原子力発電所の位置と、右の地図のトルネードが多発する地域に位置は奇妙なほでお一致しています。つまり、アメリカの原子力発電所に多くは、トルネードの頻繁に発生する地域に建設されているのです。
日本ではあまり大きな竜巻が発生しないので、竜巻の発生により施設が被害を受けるというイメージがありません。しかし、米国の巨大トルネードは、日本の竜巻とは大きさもエネルギーも比べものにならないくらい巨大なのです。 しかし、日本には米国の巨大トルネードと同等レベルの猛烈な竜巻は起こりません。しかも、福島第一原子力発電所は、海のすぐ近く、いわゆる臨海地域に建てられているので、巨大な竜巻よりも津波に襲われる可能性の方がより高いと言えます。 なのに、津波で浸水するリスクを考えて高台や地上に設置するのではなく、巨大なトルネードに襲われることも無いのに、ただ「見本にしたアメリカの原子力発電所がそうだったから」との理由で「非常用ディーゼル発電機などを地下に設置したと推認できるのです。
 東京電力福島第一発電所の一号機は、言わばアメリカの原子力発電所の焼き直しでした。『すでに安全性が確かめられた技術なのだから」と、日本の実情を推測することもなく、自分の頭でちゃんと考えもしないで無批判に受け入れてしまいました。----これこそ「失敗(事故・津波)を他人事の様にしか想像できず。他人(アメリカ)の考え方に乗っかって真似るばかりで、自分の頭でちゃんと考えなかった結果、取り返しのつかない大失敗(大事故)をおこしてしまった事例」と言えます。 まさしく「自分の頭でちゃんと考えようとしない」という日本人の傾向が、現代に至るまで、数多くの大事故(大失敗)を引き起こしてきた一例なのです。

(211ページ)1950年代半ばから日本が成し遂げた高度経済成長の原動力となったのは「工業製品の輸出産業の発展」です。明治以来、西洋で生み出されたもの(製品)を真似てその精度や性能をさらに上げるのが得意だったため、海外では「日本の製品はすごく品質が高い」という信用と評判を得ることができました。その結果、日本は輸出産業を伸ばし、外貨を獲得して経済成長へとつなげたわけです。
それは「おもしろそう」とか「こんなものがあったらいいな」という発想から生まれたGoogleやFacebookなど、いわゆる「GAFA]と呼ばれる四大IT産業の誕生発展の経緯とは全く異なるものでした。

 ところが最近、日本でも、かってとはちがうムーブメントが起きています。 「おもしろそうだから」「やってみたいと思ったから」などの理由でビジネスや社会活動を始める若い世代のひとたちが増えているのです。
彼らは「誰かに指示された」ではなく、あくまでも「自分の意思」で行動します。「何が今の時代の正解か?」を求めて「自分さえ得をすれば他人はどうでもいい」と考えるのではなく、「何がおもしろいか」「どうすれば楽しくなるのか」を目指して「仲間と共同で目標を達成したい」と願うのです。
そんな従来の日本になかった潮流の背景にあるのが「リスペクト」です。」この時代の変化が、若い世代から数多くの挑戦するものを生み出している要因ではないかと私は推測しています。チャレンジャーたちがどんどん出てくると、さらに「果敢に挑戦した者には成否を問わずリスペクトする」というポジティブな風潮が広がり、いつか、この世界全体が変わるかもしれません。・・・・・・


(212ページ)失敗学や創造学は「楽しいことがしたい」「おもしろいことをやりたい」と思い立って、自分の意志で動き始めようとする人を応援することはできます。しかし、自分から動こうという気のない、他人任せの人を動かすことはできません。すべては、あなた自身が動き出すことからしか始まらないのです。・・・・失敗学で「失敗と上手に付き合う方法を身につければ大きな失敗のおこる可能性を低くしながら、数々の失敗から貴重な体験的知識を得ることで、前例も見本もないことにチャレンジする勇気が持てます。
 あなたがもしクリエイティブな生き方を望むのであれば、失敗を恐れず、自由に楽しくチャレンジできるように、そっと背中を押す----失敗学と創造学は、そのためにある学問であり哲学なのです。



『2013.03.16 S34卒50周年記念講演会・福島原発事故調査・検証を終えて・畑村洋太郎 』

が戸山高校において開催されました。 記念講演録音の一部書き起こし


  講演の中で、 『電源喪失した暗黒の原発内で自分たちの自動車のバッテリーを担いでき て計器を読み取るなど、自己に付託 された使命を考え、主体的・能動的に行動した素晴しい人々の御蔭で今がある』とか 『事故発生直後に、オフサイトセンターから放射線量増を理由にセ ンター員が 避難したが、実はセンターの放射線防護の予算は3年前から確保されており総務 省が毎年防護実施の注意喚起をしたにも関わらず、実施しないと言う不作為があった』とか 『9.11米国の同時多発テロのあとで、米国から非常用発電機とコンプレッサー準備の必要性が機密保持のため口頭で助言されたが上部に伝達しない 傲慢があった』など、『各人一人ひとり、に付託された責任』を問ぅお考えが述べられました。

『2013.04.13 特別対談 畑村洋太郎 vs 加藤陽子 福島原発事故から何を学ぶか 』

  対談の中で
●畑村:日本は「独立した個」をつくらないことを是として、最大効率で動くことばかり考えてきた。そのツケが今回まわってきたように思えます。
●加藤:これは近代日本の軍事史を研究している歴史家として、すごく既視感を覚えます。  たとえば、日米開戦を決意するにあたって、海軍のある動員課長が調べた「戦争になったら船舶が爆撃されてどのくらい失われるか」というデータが重要な意味を持ちました。彼は開戦派の上司に調べろと言われたから、撃沈数は少ないほうがいいんだろうと、わざと第一次世界大戦中の古いデータ、つまり航空機による爆撃のない時代のデータを調べて上に提出する。  その数字が御前会議でも使われて、結局、「撃沈される船舶量より建造できる船舶量のほうが多くなる」「ならば、開戦オーケー」という重大な決定につながりました。

『2020.1.1 3現で学んだ危険学』

●2007 年から13 年間行った「危険学プロジェクト」の主な活動を紹介しながら,「危険学」のエッセンスについて述べています.
自由にダウンロードしてご活用下さいとのこと。 ●今迄、畑村先生は失敗の経験から危険や安全の本質を学ぼうとしてきたが、なかなか目的に達しない、そこで視点を変え「危険を正面から見つめていこう」ということで2008年から「危険学プロジェクト」として機械装置や機械システムばかりでなく子供の遊具や医療現場などの社会全般を研究対象とすることにした、とのこと。