*都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生の資料 画面右の×印で閉じます。   昭和31年卒のページにはここから   Count = 165

         第78回 戸山祭(2023)の見学記です、戸山の今を訪ねましょう!

       逆算すると第1回 戸山祭は(1945=昭和20年)です。歴史と伝統 の戸山高校です。

昭46卒寄贈の「新壁面校章」
戸山祭時の校舎
入口の看板と受付
校長先生のお話
一年生の掲示内容
SSHの掲示内容
校舎の階段教室
校舎のミドリスペース
照和31年卒記念樹1
照和31年卒記念樹2
照和31年卒記念樹3
照和30・山嶺会記念樹
深井鑑一郎先生像
深井資金ラベル
全体パンフレット
CD   

「昭46卒寄贈の新壁面校章」

城北会誌第70号(2022)によると、照和46(1971)年卒同期会(「戸山46会」)が卒業50周年の記念事業として「壁面校章」をリニューアルしたとのこと。「柏の葉・四枚の校章」は、敗戦による学制改革で『四中->第四高校->戸山高校』と名前が変えられた昭24(1949)から『四の暗喩』として、70年間以上使われました。学生服通学の時代には、男子帽章・女子胸章としても使用されていたものです。因みに、「戸山46会」は約250万円の資金をあつめたとのこと。校章をデザインした彫刻家斎藤素巌氏も四中卒で、ラジアン池脇にある深井校長胸像の作者でもあります。
「旧壁面校章」も校内に、記念として保存されているとのこと、 歴史と伝統 ですね。

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「今年の戸山祭時の校舎と三年・二年のクラス別看板」
 学園祭「戸山祭」の公開が、コロナ禍後の2023年9月に復活しました。歴史と伝統 の「三年生のクラス別ビデオ劇」、「二年生のクラス別演劇」の看板が華やかです。「一年生のクラス別看板」は校門通路です。

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「一年生のクラス別看板と受付と記念樹・柏」

校門からの、通路には歴史と伝統の「一年生のクラス別縦看板」と受付が有ります。(今回は記名のみで見学可でした)。看板の左の女子学習院との境は「学校施設:ビオトープ」です。
ここには、我々昭31年卒が卒業25周年(1981)に寄贈した樹齢40数年の「記念樹・柏」があります。


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校長先生のお話:パンフレット(ページ最下にリンク)より」

高野 宏 校長先生は
「ごあいさつ」にて、他校の文化祭は「文化」よりも「祭」の色彩が濃く、「飲食」「縁日」などか多いですが、戸山祭では「文化」が重視されている「硬派の文化祭」のように思うわれる。とのこと。
「対談」にて、「戸山高校は歴史のある伝統校で、生徒が誇りと自信の持って取り組んでいると思います。高校生は自分の生き方、価値観、人生観を固める時期で、未完成な生徒が集まってそれぞれの個性をぶつけ合いながら、自分の生き方を固める時期だと思います。とのご発言です。

因みに、日経・朝日・読売の三紙が『元東京立戸山高校教諭』として訃報を掲載した「伝説の柴田治先生=大正14年に府立四中教諭となり、昭和36年まで在職」から頂戴した言葉を思い出します。『世の中は、君達が十分腕を磨いて一日も速く来て呉れることを待っている。そこで、大きく逞しくスタートを切ってくれますように念じています。昭和三十一年二月 柴田 治』でした。

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「一年生の展示:パンフレットより」

戸山祭の歴史と伝統として、三年動画・二年舞台・一年は教室内展示とのこと。戸山高生は、クラス別で競っているようです。


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「戸山の めめち」とは何のこと?

戸山高の新しい伝統でしょうか?SSH=Super Science HighSchool が戸山高校生に受け入れられ、先生方への「あだな」同様に、SSHの「あだな」(戸山ことば=Jargon)が生まれたようです。
これからの発展が楽しみですね。
SSH展示の詳細は別ページにあります


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「校舎の中庭 ミドリのスペース」

現在の戸山高の校舎は五階建てで、リング状。中庭があるのですね、中世の修道僧みたいに生徒が環状廊下を逍遙するのでしょうか?悩みは何でしょうか。学業? 青春? 人生?  中庭には緑があるようです。


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「校舎の中庭 階段のスペース」

中庭には、ベンチの雛壇があります。首相官邸の階段みたいに、記念撮影も出来そうです。


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「昭和31・卒業25年記念謝恩会」

昭和56(1981)年10月、「大平首相急死による鈴木善幸内閣」のころ、我々は卒業25年パーティを京王プラザホテルで開催し、先生謝恩、名簿整備、母校に記念樹〈校章に因む柏、とのことで恩師11名のご出席を頂き盛大に実施しました。 白木の木柱を用意し、ご出席の書道:小林秀雄(龍峰)先生に、趣旨の揮毫をお願いしました。記念樹は残りましたが、木柱は散逸しました。。

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「卒業50年記念エコファンド基金」

〈柏の記念樹〉は、当時の坂田種苗(株)現在の(株)サカタのタネに在職のH組の片山繁朗さんに「苗木複数本でなく成木一本が欲しいのだ。万一枯れたら交換だ!」と無理をお願いし尽力頂きました。移植後しばらく茶色い葉のままで、枯れた!と大騒ぎをしましたが、柏の葉は秋になっても完全に落葉せず、春に若葉が開くのを待って散る。したがい『柏散る』は初夏の季語。だそうで、とんだ国文学の勉強でした。
また、2006年3月に、卒業50年記念CD誌を作成、我々が募った50万4千8百円を、新校舎落成記念事業の戸山エコファンド基金として寄付しました。

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「(標識の復活)・卒業25年記念樹」
2019年6月の3Hランチ会で《記念樹の表示》が話題となりました。3B栗林さんや3H片山さんなどのお話を聞き、皇居東御苑と同様な樹名板なら学校に御理解頂けるのではと、3H尾崎さん中心で活動し、どうやら復活しました。なお「備えよ常に」の意味で樹名板の予備も尾崎さんが用意しました。

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「山嶺会(1955)年卒・卒業50年記念樹(柏)」

山嶺会(昭和30年卒同期会)も、卒業50周年で柏の樹を、石標付きで植えられました。
同時に、深井奨学財団に50万円の寄付をされ、深井先生胸像台座に「銘版」を設置されました。

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「深井鑑一郎先生像」

ウイキペディアによれば「深井鑑一郎氏は、1898年(明治31年)、東京府城北尋常中学校の校長に就任。以来、1938年(昭和13年)までの40年間にわたって同校とその後身の東京府立第四中学校(現:都立戸山高校)の校長を務め、府立四中中興の祖と称される。」とのこと。 勉学面では、四年1学期で5年間のカリキュラムを終えて、残りを受験指導に充て旧制中学四年修了での、地方も含めた旧制高校・陸士・海兵などへの入学を指導していたが、修身の時間は、入学成績の話で、話題の中心は四中と一中との対比であった。こうした教育指導の成果もあって、明治の後半から昭和にかけて府立四中と一中が一高合格率を競うようになった。とのこと、四十年間にわたって長期在任した深井校長の歴史と伝統への影響は大きかったのだろうと思います。長期在任が、管理職にも許された時代だった様です。

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「深井奨学財団=戸山高校奨学基金」

財団法人・深井奨学財団は毎年約30名の高校生に奨学金を給付しており、この財団の愛称が『戸山高校奨学基金』です。  財団は昭和10年に設立され、府立四中の校長を40年間にわたり務められた深井鑑一郎先生も退官されるときに、退職金の一部を拠出されました。昭和60年の創立100周年記念事業として、城北会が財団事業を再開させ、今日に至っています。
寄付累積金額10万円以上を『深井功労者』、特に50万円以上は『深井特別功労者』として、深井先生胸像台座側面に銘板を貼付しています。柴田治先生(数1925-1961)・岩野由紀夫先生(英1926-1947)・坂入一郎先生(数1944-1985)・平瀬志富先生(物1946-1986)が深井特別功労者。武藤徹先生(数1947-1986)は2013年度深井功労者となっておられます。山嶺会の銘版もあります。
外部情報として、東京工大は、個人30万円以上の寄付で「芳名刻印レンガ」の設置、500万円以上の寄付で「紺綬褒章推薦」と言っています。

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見学者全員に配られたパンフレット

力作です・・・・「若さは素晴らしい」・・詳しく見て下さい。


(左の表紙画像をクリック下さい。PDFがリンクしています)


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