戸山のシンボル・ラジアン池の話 ・・・ そなえよ常に ・・・
ラジアン池には初代と二代目があります
都立戸山高等学校のシンボルのラジアン池には、Ver.1とVer.2があります。府立四中・都立戸山高校百年史によると、戸山校舎
を建設(昭和26年4月23日完成)した際に戸山のシンボル「ラジアン池」が正面玄関前に掘られた、となっています。扇型の池で、その弧を見込む角を「弧
度法の単位の1ラジアン、360度÷2π(パイ)=約57.3度」としてラジアン池と命名されたようです。したがって、初代ラジアン池は昭和26年
(1951年)4月から平成13年(2001年)9月まで約50年間存在しました。

第二代のラジアン池は、平成17年(2005年)3月に落成しました。
水面の角度から言うと、ラジアン池でないとの発言もあるようですが池底の睡蓮畑が1ラジアンです。、過去の卒業生として、現在・未来の戸山高校生の方々と共有できるシンボルと伝説があるのは、感慨深いことです。

記録によれば、「戸山高校の前身である府立第四中学の校舎(在加賀町)は昭和20年3月と4月の空襲で焼失した。仮校舎での分散授業を4年余行ったが、昭和24年7月に、旧陸軍の戸山練兵場跡地に校舎を新築し 移転した(注:この時ラジアン池は無い)。しかし、翌25年5月10日に出火し、「戸山砂漠」の水利の不便もあり略全焼した。当時の平田巧校長他のご努力やら、生徒の陳情・生徒会予算拠出などの必死の活動で第二次校舎を再建した。費用倹約のため、木造校舎2棟の中央玄関棟部分のみをにコンクリート造りとし、ファイヤーウオールとした。」とあります。(注:この際に初代のラジアン池が建設されました。水泳プールの設置は後日ですから、池は消防水利でもあり Be Prepared=備えよ常に の意味も有ったのでしょう。)
過去を想うと、「戸山高校の前身である東京府立第四中学校は、その校章に古字体の「四」を用い、その形が円周率を表すπ(パイ)に似ていた事から「四中 =パイ中」と呼ばれた。これは有為の先輩方を理数系にも多数送り出したイメージとも重なっているのだ、君たちも頑張りたまえ」と励ます先生もおられまし た。
そして今日、都立高校初のスーパーサイエンスハイスクール=SSH(平成16年度~18年度、更に19年度~23年度を追加)指定校となり、伝統がより良く脈々と生かされつつある事は喜ばしいかぎりと思われます。
各自で情況を冷静に把握して・・・ガンバレ戸山高校生・・・ 次へ
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