学園歌のページ
最初の学園歌は男子専用でした
時代の波として、1946(昭21)に、GHQ教育局新聞課の学校新聞の奨励がありました。、1949(昭24)には、文部省が「中学校・高校の生活指導=中学高校は学校新聞を持つことが望ましい、管理編集は生徒が行う、顧問は助言的役割のみ」を発表しました。
同年5月15日に、「四高時鐘=戸山高校新聞の前身」が創刊されました。因みに、創刊号には、当校の先輩で、著名な参議院議員・羽仁五郎氏(大正7卒)の「四高諸君に望む」を掲載しています。
その、6月の記事に、新校歌歌曲募集があります。即ち、「従来の校歌は新しい日本の歩みに副わぬ点が多かったので・・・・新校歌歌詞を募集・・・応募百一編の中より第二校歌・・・。その曲を募集することになった。・・・第二校歌は従来の高校の寮歌或いは応援歌に当たるもので、軽快にして力強く、我々四高生の青春を謳歌し且その意気をしめすに足るもの」としています。
この中に、福島正義教諭の”芙蓉の峰に雲晴れて、都塵を他所に若草の、戸山が原にそそりたつ、朝日に映ゆる学び舎に、希望の胸は躍るなり、励めよ四高健男児(注:当時は男子校だった)”があります。この後、生徒委員会内に、校歌普及特別委員会を設置し、従来の校歌に代わると、位置づけるかを議論しました。
その後、1953(昭28年9月の「戸山高校新聞」に、学園歌(仮称)完成すとの記事があります。「福島先生の歌詞に、本校卒業生の作曲家、長洲忠和氏が曲をつけて、SPレコードとし(注:テープレコーダなど無い時代)、これを学園祭にて発表する」 としています。なお、この際に戸山高校が男女共学の点から「励め四高健男児」は省かれています。つまり、約四年のあいだ先生方と生徒で種々議論され、その結果生まれたのが現在の学園歌のようです。
各自で情況を冷静に把握して・・・ガンバレ戸山高校生・・・
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