都立戸山高校・1956(昭31)年卒業生のページ

校舎
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御世話になった先生の書かれた資料

武藤徹先生の「歴史と伝統の上に築かれた、戸山高校の民主教育と課題」

武藤徹先生は、1947年から1986年まで戸山高校に数学担任として在職されました日教組の青年部長だったとの説もあります。先生列伝によると、先生は、ペスタロッチ・フローベル・ナトルプなどの教育論に影響されたとのことです。我々の時代には若手の先生として、「数学班」を指導され、先進的な活動をされました。

一方、戸山高校生の学力についても分析され、昭和27年からの受験競争の激化、昭和31年からの言語能力の減退・未成熟を要因とする基礎学力の低下が目立ち始めたと昭和54(1979)年の「高校教育十三号」に書いておられ、戸山高校37年卒業生のホームページにありました。

PDF化した論文もあります。

伊原公男先生のアメフットへの貢献と「ご遺稿」

伊原公男先生は、保健体育のご担当として1950年~1988年まで戸山高校に在職されました。我々の時代には、こわもての生徒指導教諭の印象でしたが後に、クラブ活動としてのタッチフット部・アメリカンフット部(グリーンホーネト)の顧問や高体連としての活動もされ、アメリカンフットボール協会より、功労者として表彰されておられます。(1995年1 月3日ライスボールに於いて表彰)

一方、先生は、われわれ31年卒より十歳年長で、十七歳の時に、猛烈な受験勉強して飛行予科練習生(予科練)に合格され、様々の経験をされた記録があります)
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